なんでもいれる箱

掃除ができないやつの家に一つはある。それです。

脳死文

新年度が開始していた。

 

 

自分の現状はよくわからないのでアイドルマスターシャイニーカラーズのことを書く。

 

にちかのSSR、トゥルーエンドまで頑張って進んだけどすごくよかった。

一貫してにちかがプロデューサーに対してかなりきつい態度をとっていて、コミュの読み始めは見ててキツかった。こういうの苦手だ〜...とやや逃げ腰になってしまった。

でもコミュ名の「あたりますね」が文字通りの八つ当たりだとしたら、思い通りにいかない自分への苛立ち(まだ基礎がついていないと遠回しに言われたとか、バイトでのミスとか)を上手く消化できない15歳の姿なのだろう。

にちかはアイドルへの思いは人一倍強くて、それでいておそらく自分の至らないところや実力も同じように人一倍痛感するタイプなのかもしれない。

このコミュの時期は事務所所属したて、ウィングを目指す途中くらいだろうか。

共通コミュでの彼女は「何もしなかったら自分はただの一般人(ニュアンス)」と自嘲する。この自己肯定感の低さ、アイドルを志しつつもどうも自分自身がそれを信じきれていない。アイドル(のトップ)という存在をにちかはどうにも遠いものと認識しているきらいがあるように見える。

これ、似たものを感じたことがあるんだよな。

大学受験の時、第1志望を国立としながらそこへ合格するビジョンが全然浮かばなかった。「国立志望」という自分だけがいるだけ。でもいろんな期待はあるし、行きたい大学ではあるしという思いがない混ぜになっていた。

人間は必ずしも一貫した感情や信念だけで動けるほど強いことはあまりない。

そして、上記の私が感じ続けていたそれとにちかのものが同じとも思っていない。ただ同じような枠の話というだけ。

にちかは「アイドル」になりたい、でも彼女が思うよりその道は辛くて苦しくて、笑うことすら出来なくなるようなものだった。もうウィングあたりではわかんなくなっていた。これ、「楽しい放課後の部活動」くらいの気持ちからアイドル真剣にやる!と心境が変化する子達と真逆なんだよな。

よく友達と話題になる話で、希望した職業が必ずしも天職とは限らない、むしろその逆ということの方が大いにありえる、というのがある。

その中でどうして生きていくのが良いんだろうねという終わりのない議題だ。

 

齢15の子にその事実をぶつけるの、現代社会で許してもらえてんの???

 

明るい部屋を加味するとにちかは父親の記憶がないくらいの時期に死別しているのだろうか。そんで母親も病院にいるということは親との交流がそんなにないのかもしれない。

ここで彼女がバイトするショップ店員の「無償のものはあげられない」という言葉が効いてくる。

そうなのだ。どれほど様々なコミュニティに属していてもいわゆる「無償の愛」を向けてくれるような存在はいないのだ。そんな責任の伴うことをしてくれる人はいない。人間はいつでも他者へ無責任だ。

しかしプロデューサーはにちかにとって今までと違ったのだろう。限りなく「無償の愛」に近い向き合い方をする。

この男は心の底からにちかに幸せになってほしいと思えるような人間で、その言葉に責任を持つ人なんだよなあ。

だからにちかは彼との距離感を掴みかねているんだろう。

ほとんど自傷のようなやり方でプロデューサーを試し、彼がどこまでの人間なのかをおっかなびっくりと確かめている。

あの気の強さの裏には臆病な少女が潜んでいる。

多分はづきさんも根っこは似たような感じなんだろうな。でもきっと、彼女は早く大人にならなければならなかった立場だったのだろう。明るい部屋にその片鱗を見た気がする。

 

そんで、思ったのは美琴にもにちかのような時代があってもおかしくなかっただろうなということ。

美琴は他の全てを捨ててアイドルを目指し続けた人だ。14で上京して、そこからずっとだ。

彼女だって最初は思うようにいかない自分へ苛立ち、苦しくて、それを誰かへぶつけることがあったのではないだろうか。それが何度も何度も繰り返される中で、心がすり減らないわけがない。段々そんな力もなくなっていろんなものを飲み込むことに慣れたんじゃないか。

ルカと共にデビューした。でもそれはきっと美琴が目指した結果ではなくて。

そうやって24歳、283プロに移籍した緋田美琴ができあがった。

美琴はもっと早くプロデューサーと出会いたかったと言いかける。きっとそれは心の声が漏れ出たものなのだろう。

きっと長い間美琴には彼のような存在は現れなかったのだ。ずっと1人で戦っていた。

にちかはもしかすると、「プロデューサーがいた場合の上京当時の美琴」なのかも。

 

 

さて、シーズは「バディ」と高山pは仰っていた。

しかし現状ではにちかの美琴へむけるまなざしは憧れが強いように思える。それは決して対等な関係とは言えない。

この関係がどう変化して、相棒になっていくのだろうか。

トリガーはプロデューサーじゃなくて美琴なんじゃないかと思っている。上京してから今までのことを話すとかして、自分もあなたも「同じ」と伝えられるのは他でもない美琴だけだ。

そしてその関係の中にどうルカが作用してくるのか。

うーん楽しみだ。(あっさ〜〜〜い)

 

 

 

 

寝よう!!!

 

この文は冷静か

 

日記、毎日書くのもねと少し緩めたらこのザマである。

 

最近は結構メンタルが元気だ、古文書を家で読めている。

しかし人生の進捗は本当に終わっている。今後どうやって生きよう。

今日も労働中に社会の常識を教えてもらった。みんなどこでこういうの教わるの。

あ!そういうのが新入社員研修なのか!

そういうレベルなのだ。

 

メンタルが上昇気味なのは声をたくさん出したからだろうか。

数日前に急にカラオケへいき、ストイックに数時間曲を入れ続けたりした。

 楽しかったのでまたやろうかな。

この日記は脳の中に思考を貯めすぎると処理落ちをするから始めた(気がする)けど、声は出さないと消えていくものかもしれないと思った。

数時間歌いまくったら、すごく声が通るようになって気持ちがよかった。

気乗りしなくても定期的に声を出せる場所にはいくべきだな。

 

あと信頼度の高い人間にも会えた。手放しにとても良いと思える時間だった。

何が好きで何が楽しいのかを共有できることは勿論とても大事なことではあるけど、それ以上に何が気にくわないのか、どう生きづらいのかを全くのためらいなく話せるという相手は本当に貴重だと感じる。

話した具体的なことはほとんど覚えていないが、肉体的にも精神的にもとてもクリアである。

いや、本当に思考も声も全部でなくても表にだすべきなんだな。

 

こういう時間を過ごした後、今の条件がひとつでも崩れたらなくなってしまうのかもなと考えてしまうけど、なんとなく案外形を変えて残り続ける気がする。

もちろん時間や場所は今まで通りとはいかないけど、お互いに人間の根底が変わらない限りはぬるく交流していくんだろうな。していってくれ。

 

 

最近顕著に感じることがあるので所感を書いておく。

私自身の生きる思考がぶれたときに見直す用のメモである。

以下の考えは私の世界観、私のためだけの私の説明書だ。

 

 

近来、妙に世界が言葉とか文化に対して過度に敏感になっている気がする。

 

大枠に「不適切」とみなされる言葉や文化は、指摘され修正されて然るべきである場合が多い。

しかしこの「修正」は、当人だけが行うものでなく、その周辺もまたその様子を他人事として眺めるのではなく、「自分はどうだろう」と自己を見つめ直すことで初めて達成されるものだと思う。一人の認識が改まった/一人の認識を改めた、だけが果たして「修正」といえるのか。

 

人間という生物の多くが、意識的にも無意識的にも「他」を「評価」する。しかし、それと同時に自己についても「評価」を考えることのできる生物でもあるはずだ。

人の振り見て我が振り直せ、とはまさにその通りである。

あの「他」は過ちを犯した、それを非難する、では私自身は?と常に問いかけなければ真の意味での「適切」には至ることができないはずだ。

そしてその作業にはとても時間がかかる。走り続けながらではすることができない、一度立ち止まらなければならない。自己問答は心拍数が落ち着いていないと決して正しくは行えない。

 

SNSは洪水みたいなものだ。人生の多くの時間をその水に浸してきたからそれは理解している。しかし、洪水は一定ではない。この一年で水の色も量も勢いもずいぶん変わった。

そしてこの大洪水の中で人間はどれほど冷静でいられるのだろうか。

私はいま冷静でいるか?何かを見落としてはいないか?

いろいろと変わった理由として、人間の行動できる範囲が今まで外と内だったのが、後者のみになったからだろう。

できることも、することもその分減る。

だから「できること」に人間が精神を割く割合が増えた。

だから最近の言葉や文化への過敏な反応が増えているんじゃないかと考えている。

そして「不適切」のラインが日々引き直されまくって、「修正」の方法が過激になっている。

そして、この情報の洪水に流されている。

冷静でいられる方がむしろ不思議なのだろう。

日々鬱屈した精神をどこかで発散したいというごく当たり前の感情と、どれが自分に合うのかわからないのに濁流となって押し寄せてくる情報!

混乱するし、冷静かどうかの判断なんかとても難しい。

 

ここ最近は、もうかつてのTwitterではないなと感じる懐古厨の精神状態だ。

しかし、Twitterは日々小さな変化していって、私はそれとともに今まで歩んできた。そういう蓄積があるから今のTwitterもその延長線上だと感じる(にしても急激に色が変わったなあとは思わざるをえないが)。

そうであっても日々の情報の洪水にはおぼれ気味だ。

今の私はどんな状態だろう。視野がいつもより狭くなってたりはしないだろうか。

それなりの年数この洪水に暮らす私がそうなのだから、蓄積がない場合の新規に今の状態は酷だ。新規ユーザーがよりつかないソシャゲみたいなものだ、多分。

 

だから、私よ、どうか感情的になったら、落ち着くまで考えるのを放棄しないでくれ。

この状況で何かについて思考を止めてしまうのは私が私でなくなることにすら繋がってしまうかもしれない。情報の勢いは私なんか簡単に変えてしまう。

結論が出せなくても、それを探すことを続けてほしい。

他人が冷静かどうか、落ち着いて文字を打っているかなんか正直どうでもいい、そういう文章や画像をみて自分の感情が乱されてもいい。ただどうか、そのうえでも考えることを捨てることだけはしないでほしい。

それをやめて、自分との対話をやめた瞬間が私にとっての死だと私は確信している。

 

感情のままに取り乱してどうにかなってもいいのはaikoシャニマスの情報が発表された時だけなのだ。

 

 

あったかすぎて驚く。

春の服なんか一着もないので困り果てている。

今も目が冴えている

はっとしたらもう1月も残数が消えつつあった。

 

近況。

楽器をやっとメンテナンスに出した。

明確にどこかへ所属したり演奏会に出るつもりはないんだけど、整備に出せば再開できる気がするので。

ほんとは去年の4月に出す気でいたんだけどはっとしたらもう2020年が終わりかけていた。謝罪と再アポイントの連絡入れたら店長さんがすごく優しく対応してくれて申し訳なさと優しい~~~涙涙という気持ちであっぷあっぷよ。

こういう人になりたいと思った。

当日早めにいけそうなのでちょっと早い時間に行ってもいいんですかと連絡入れたのに駅の出口ど反対に出てしまいあんまり本来の予約と変わらない時間についてもう言葉がない。私っぽいので笑うしかなかった。

 

大学が終わってしまい人間に会わないことこの上ない。

バイトでも人としゃべらないので「発言」に関する身体の器官がどんどん衰えていく。

そういえば院試から1年経ってたんだけど、あのころ院試と演奏会2つをかけもちして勤務の年間日数14日増やすことに元気に同意したことでバイトが激増し、一体どこでどう休んでたのかわからない日々を送ってた。

今は怠惰の極みなので、今の状況で活き活きしてる人ってどうやって己を保ってるんだろう。

私は一人がへっちゃらだし単独行動することも全く苦ではないんだけど、さすがに代り映えしない状況すぎるせいか精神的な部分がじわじわ崩れているのを感じ始めている。これ病んでんのかな。めちゃくちゃ認めたくないんだけど。

狂いが外に出てきたので突然中学の同級生に連絡してみたりしている。

そのせいでできれば消えててほしい当時のマインドがよみがえったりして辛くなった。

 

よく親の前と友達の前の自分は違うとかいうけど、それと同じようにどれだけ現在の私が過去から変わってもそれはうわべだけで、当時の同級生に対しては中学生の私が抱えていた見栄とか虚勢とかが出てしまう。いつまで経っても今の私では彼らに接せない。そして中学生の自分を私はいまだに負の存在と認識しているので、まだしばらくは地元の同世代とは関われそうにない。

こんなイベントが発生したせいか、高校の友人とちょっとこじれたこととかも思い出した。

100で私が原因なんだけど、なんか、一生戻れなそうだなと思って胸がぎゅっとなる。

まいっか!と思ってる自分と、一生後悔し続ける自分がないまぜになってそれが大変にストレスだな。

これもなくせばいい見栄と虚勢と意固地なんだろうな。

そういう部分を思春期に見せていた存在には、それなしの自分を見せられないんだよな。捨てたと思ってたんだけど、ずっと居座っていて、人によって自動装備してしまうというか。完全に削除できないんだよな~必要なことは忘れるくせに。

今の自分だけ考え続けて生きてそのまま死にたいぜ。

というか、こんな突然中高のことばっか思い出すの長期間に及ぶ走馬灯なのかな。走ってないけど。

 

親戚が急性の病でかなり深刻な状況に陥ったらしい。今は小康状態らしいが。

それがあって親に健康診断を受けてくれと言われた。正直面倒すぎてえぇ...という感じ。でもお金出してくれるらしいので受けるか...追々考える...

そもそも今の時期元気なのに病院いくの申し訳なさすぎ...という感じなんだよな。日常的に病院を利用していないので、受信の仕方がよくわからない。全部ネットに書いといてくれ。健康診断って個人で受けていいものなの今回初めて知った。

 

病んでるとかは関係ないだろうけど、生活習慣はガンガン狂ってる。習慣なんていうのもおこがましい。ただのその日暮らし。

平日寝不足で休日は過眠。

せっかく都内在住なんだから博物館とか美術館行きたいなんならハシゴしたいのに14時起床。

もう!もう!

今日更新分のダ・ヴィンチ・恐山のウロマガでも同じようなこと言ってて首もげるほど頷いた。

今日もそれくらいの時間に起きたけど頑張って服を買いに出た。

ショッピングならギリギリでしっかり楽しめるな。

あと2時間はやく起きれば博物館もしっかり楽しめる気がする。明日以降がんばってほしい。

 

今日めちゃくちゃちょうどいい気温だったな~

多めに歩いてたら厚くて途中でマフラー外してしまった。

ずっとこれでいてくれよ。なんであした雨なの。

自分自分自分

ちょっとだけ働いた。

終わっている生活ののち、マジでゴミの勤務態度でごめんなさい...となった。

ほかのバイトも眠そうで、めちゃくちゃわかる...と思った。

 

背筋曲がりがちなので姿勢矯正サポーターを買った。

これで少しはストレートネックが改善されるだろうか。

今のところは結構つけてて快適。

 

友人と話をした。

このブログの存在も話題に出したんだけど、なんと友人も似たようなものを持っていた。

秘めてるだけで意外と多いのかもしれない。私は隠す気があんまりないので、このブログは誰にも教えてないけど、やっていることはツイッターとかに書いちゃうな。

友人も言ってたけど、自分の思いや考えを何かしらの媒体に出力すると、自分の胸の内を吐き出してすっきりできるし、試行錯誤して言語化する中で自分が気づかなかった自分に気づいたりする。

自分のすべてを自分の中から出力するのも極端だけど、ちょっとずつ自分の何かを別の場所に出していくことで何か科学反応が起きることもあるだろう。

 自分の中だけで自分を考えるのには限界がある。自分の外にだした時に気づく自分もいるものだ。そうやってようやく「自己分析」はできるのだと思う。

よく「自分はどんな性格だと思いますか」的な質問シートがあるけど、一人の状態だと結構詰まってしまう。思えば小学生の時とかにあったプロフィール帳で自分の事を色々質問されて、答えるのに意気込んだ割に確信をもってかけたことってほぼない気がする。

年を重ねるごとにどんどんそうなっていって、十代後半~20くらいが一番その質問に対して深いことを考えずに書いていた記憶がある。

大学に進学してから自分のパーソナルな部分を真面目に話せる友人ができて、やっと「私はこういう人間か」と、すとんと落ちる自己解釈ができるようになった。

浅かれ深かれ、いろんな人間を話していくことって本当に重要なんだな。

今はそれが難しい世界だから、順調に自分がわからなくなっているが。

 

自分がゲシュタルト崩壊してきた。

 

 

薄桃色にこんがらがってを読んだ。

アルストロメリア...

3人でアルストロメリア...

オーディションで千雪がアプリコットとの思い出を語るシーンで、本当にこの人は雑誌を愛していて、ページが擦り切れるほど読み直して胸をときめかせていたんだな、と痛いほど伝わってきて、それが審査員にどうか伝わっていてくれと願った。

復刊なら、千雪だって仕事が回ってくる可能性があるじゃん...

千雪はすっきりしていたようだけど、私は千雪が載ったアプリコットが読みたい。

最近妙に涙腺が弱くて、ボロボロ泣いてしまった。全部よかった。なにも無駄がなかった。

コミュ開放してくれてありがとう!!!!!!!!

 

寒すぎて寝そう。

都内ですら氷点下かよ。

 

栄養が足りてないのか

生活リズムが絶賛ド狂いを見せている。

午後に目覚める。朝に寝る。典型的な終わり。

ちょっと長めの正月休みが生成できたので適当に起きて適当に動画を流しながら適当に食事し適当に様々な作業を行ったり来たりして適当に寝る、本当にそういう日々を送っている。

気づいたらもう7日なんだな。なんというか、どうでもいいな。

去年までは予定を詰め込むのが趣味だったので毎日何かがあって、追われていた。この時期に院試準備しながら演奏会2つも出まーす!って言ってた。

しかしこうも予定がないと、いろんな境目が消えていくので節目とかどうでもよくなってしまう。

年末年始の空気感は好きな方なので、普通に生きててもそれを感じられるのは楽しい。ただ、それはそれとして本当に毎日を生きることに対してめちゃくちゃ投げやりになっている自分もいる。

多分ギリギリまで着手しなかった論文をちんたら書いてたのも大いにあるだろうな。

年末年始の空気といえば、毎年年が開けるとずっとそういう気分でいてしまって、3月くらいまで新年の心持ちで過ごしていた。卒業シーズンくらいにやっとそっちに意識がいって、私の中の新年はおわる。そして4月に新しく始まったなと思いそのまま半年以上過ごす。そうするとまた年末年始が近づく。そうやって私の1年は終わり、また次の年が始まる。

今年はやはりそういう意識が薄くなってしまっているな。12月は特に忙しくて、所属機関以外の人間とあった記憶がほぼない。

そうすると、どうしても自分でも自分が見えなくなってしまう。

大学へ入学してから特に感じるが、自分という存在は自分だけのものではあるけど、ひとりきりだと結構サクッと見失ってしまう。

様々なフィールドでの「自分」を出力することで自分はこういう存在と認識を継続できるんだろうな。

とはいえ、色々あって1年近く会っていなかった親族に再会する機会があった。おかげで見えなくて、ブレまくっていた自分を取り戻すことができた。

さすが私の人生に多大なインパクトを与えた血の繋がった人間、やはり話していてずっと楽しかったし、意見も思考も語彙も私の色んな部分に影響を与えているなと改めて思ったりした。思えばずっと仲がいい人間はだいたいこういう種類だ。

色々あってちょっと落ち込んでたりしたけど、たった数時間会えただけで今までにないほどメンタル最強になったのであの人間は私にとって本当に大きくてインパクトのある存在なんだろう。

今後も疎遠になりたくなさすぎる。

爪がめちゃくちゃ弱っている。

爪噛みの癖がやや出てしまったのはあるけどにしても弱い。なんでこんな割れるんだ。

低脂肪牛乳では足りないのか。

外出て無さすぎる上に出たとしても一瞬すぎて気温がよくわからない。

冷えるということだけはわかる。

通勤時間

家から出なさ過ぎて1日の境目が曖昧になっている。

のでブログも普通に更新を忘れてるしもう29日なのにかなり動揺した。

なんか書くか。

 

進捗が終わってる。

年始締め切りの文章が全く書けない。2か月くらい猶予があったはずなんだけど、気づいたらもう一週間あるかないかくらいになっている。

ただ、私は私のこういうところをよくわかっているのであんまり焦っていない。

休み3日をツイッターでつぶしたこともあんまり後悔していない。

私ってこういう人~!という納得と開き直りでいっぱいだ。

今までもこれからもずっとこうやって生きるしこのまま死ぬ。

 

とはいえ、締め切りが迫ると急に意識がそれに向くので、昨日やっと対峙した。

どんな構成にしようかなと迷っていたんだけど、風呂入ってたら急に筋道が完成した。

大体「案」というものは風呂で生まれるな。不思議。

卒論で詰まってた時もひとっ風呂浴びたら急に頭の中で整理がついたし。

一生風呂入ってたら修論も終わるかな。

 

やばい、書くことがない。

 

シャニマス、コラボフェスに追われている。あんなシンプルな構造なのにすぐゲーム起動してしまうので恐ろしすぎる。

あと営業が終わる時間に目覚ましかけるようになった。

シャニマスに寝起きが左右されている。

 

とある二人組のシャニマスを語る配信を見た。

千雪が蛾を追っ払うエピソードにも触れててうれしくなったんだけど、私にはない観点で千雪の発言を見ていて新鮮だった。

確かに最年長が「田舎者って言ってもいいんだぞ」って言ったら苦笑の空間になりかねないわな。私もそういうこと言われたら適当なこと言ってとりつくろっちゃうわ。

私は相当千雪と彼女対他の女性たちに対してバイアスがかかった目を向けているんだと自覚した。

 

あとあの人たちのノクチル論がめちゃくちゃ好きなのでもう38時間くらい話してほしい。ああいう解釈を聞くと、樋口円香へ熱い視線を注いで勝手に泣き出してしまう。

 

ファン感謝祭を始めたんだけど、私的にはかなりあっているシステムなので楽しい。

放課後クライマックスガールズのエピソードで「園田だけ家や学校から事務所が遠い」ということが判明して、解像度...実在性...となった。

千葉から聖蹟桜ヶ丘西東京まで通っている園田、私の中ですごくしっくりくる。遠くても実家住みで頑張って通う人~~~それ~~~

デビューしたての頃は総武線で新宿まで行って京王線乗ってたのかな。本八幡から直行かもしれないな。園田は事務所へ向かうときに乗り換えアプリで出てきた最速ルートで向かう人だから調布で急行に乗り換えるけど帰りは時間が許す限り同じ電車に乗り続ける。

今は送迎あるのかな。売れ出したアイドルって電車使うの?わからない...

 

冬優子も茨城か。今回のカードの感じ実家住みに見えるんだけど、通ってるんかな。

短大が都内なら事務所学校実家で学校が中間地点とかになってるんだろうか。

でもスカウトされてるってことはそこらへんに学校があるのかな。

 

東京の学校に通ってる人て思ったより遠いとこからでも実家から通ってることあってびっくりしたんだよな。一都三県の人って隣接してなくても千葉~神奈川とか神奈川~埼玉とか普通に通うじゃん。私の友達もそういう人ばっかり。

地元は県内の大学でも一人暮らししてる率高かったからすごいギャップを感じた。

それを踏まえると冬優子が取手らへんに住んでたら常磐線乗って通ってるんだろうな。常磐線に乗る黛冬優子、あまりにも想像できてしまう。

 

聖蹟桜ヶ丘、家賃安いな...。

 

荷物取りに行ったり公共料金を支払ったりしたので3日ぶりに日の当たる時間に外に出た。

マフラーせずに出たけどほどよい気温だった。あの極寒はなんだったんだ。

 

やることがいっぱい!

ずいぶん時間が空いてしまった。

精神的な体調がじわじわと悪くて、一日一日を無事無駄につかって終わっていた。

気づくと2時とかで、その時間から文字打つと3時とか余裕で過ぎちゃうからな。

返信してないメールとかめちゃくちゃあるな。

やばいやばい。

 

そういえばマイナンバーカードを受け取った。

申請して受取予約の案内来てたのに忘れ続け家から出ない2か月の間に完全に脳から消えてたんだけど、役所は「多分そうなんだろうな」と思っててくれたらしく、ずっと保管しててくれたらしい。

多分一年くらい保管していてくれたことになる。

今日受取りながら、役所の人に対してめちゃくちゃ申し訳なくなった。

こんな怠惰な奴にも淡々と対応してくれてありがとう…納税頑張るから!!!

 

それでいうと、楽器のメンテナンスもかなり先延ばしにしてしまっている。

3月に電話して予約がいっぱいだといわれたので、4月に電話しますね~と言ってたら家から出れなくなって、こっちはマイナンバーと違って全然忘れてなかったんだけど、連絡しなきゃ~~~~~~あ~~~~~~~~~~と思ったら、もう12月よ。

怒られてもなにも文句は言えない。

先延ばしにすればするほど罪の濃度は上がっていくんだけど、ずるずるここまできてしもーた。

今年の内に、今年の内に連絡いれねば。楽器もうすら一年触れてないし。

吹きたい気持ちはあるんだよね。

ここ4年吹いてたし、やっぱたまには触れとかないとな。

楽器ケースにホコリがたまるのが結構切ない。

何をするにしてもとにかくメンテしないと始まらない。

大学時代を取り戻すというつもりもないけど、もう少し色々吹けたら人生の色が増えそうだ。

 

バイト先であった人が、スマホケースに貼ってたゴルナイステッカーに反応して、色々話していったらオモコロもデイリーポータルZもしっかり読んでる人だった。

どの記事の話しても大体明るい声が返ってくるので私と同じくらい読み込んでるし、好ましく思ってる記事の傾向も結構似ていた。

酒蒸し法で飯を作り、一杯ご飯を食べてる人を眺め、かたいプリンと異国のピラフ食べたすぎる人だった。わかる、全部わかる。

特に夏は塩分を取ろう!という記事がめちゃくちゃいいよね...となり、あの周辺の記事大体良すぎると絶えず話したな。

感情の起伏があまり激しい方ではなかったのでわ!と盛り上がるわけではなかったけど、ああやって共通のことでずっとしゃべっていられるのはかなり幸せな時間だった。

昨日でおそらくお会いできる最後の機会だったんだけど、久しぶりにもっと早く出会いたかったと思える人に出会えたなと思う。

とりあえずモンゴルナイトフィーバー聞いてとアツく語ってしまったので、ラジオの沼にもハマっていてほしい。

また会えたら一緒に馬場さんのお店で飲みながら、もっと具体的に語れたらいいな。

 

クリスマスコミュめちゃくちゃサイコーだった。

特に千雪が蛾を難なく外へ出し、それに対するほかの子たちの反応も千雪が自分を田舎者っていうのも全部よかった。

千雪が育った場所を想起させられる。家の光に虫が寄せられるような土地で育ったんだろうなとわかるの、めちゃくちゃ助かる。

キャラクターの輪郭を描くうえで、家庭事情や幼いころや思春期の象徴的な体験を描くことは他のジャンルでも(よく)ある手法だと思うんだけど、寮内のドタバタを描くセリフの中の、こんなちょっとところでその人がどんなところで生まれ育ったのかを思い起こさせるのすごい。

あと単純に千雪が蛾が得意なのが個人的にうれしかったのもある。

なぜなら私もそういう場所で生きていた人間だから、彼女が都会へ来るまで生きていた場所をすぐ想像できた。

 

千雪のおしゃれっぷりってずっと都会で生きてきたひとっぽくないんだよな。地元では流行のメイクや洋服をすぐに手に取ることができるわけではなくて、雑誌やテレビで得た情報に心を弾ませ、「いつか」と憧れを抱く田舎者の女の子だったんだろうなと勝手に思っている。

都会に出てきて、かつては遠くて簡単に手を出せるものではなかったキラキラとしたものにすぐアクセスできるようになって、それを全力で楽しんでいる女性に見える。都会育ちより田舎の出の方がそういうところに気合入るんだよな。だからスキンケアにしてもいろいろ知ってるんだろうな。

まだ全部のコミュは読んでいないので、桑山千雪という人間について知っていることはごくわずかなので、今後この評価は変わるかもしれない。

「蛾は得意なの」から想起した桑山千雪像は以上です。

 

お前に千雪の何がわかるんだ。

 

 

シャニマスのコミュには無駄が全くないと誰かが言っていたけどそれをひしひしと感じる初めてのクリスマスコミュ体験だった。

え!こんな素敵な女性たちの日常・非日常をまだまだ見せてもらえるんですか!?!

あと700年運営してください!

 

あと樋口円香をプロデュースした。

もっと核を、コアを知りたい。

今言えることは、円香は私のこと好きだと思う。

 

今日なんかいい天気だったな。

30分くらいしか外出てないからほんとはそんなことなかったかもしれないけど。