なんでもいれる箱

掃除ができないやつの家に一つはある。それです。

猫を思う

猫のことを一日のどこかで思う。

それは日々YouTubeで猫の動画を見ているからなのだが。

ただし不特定多数の猫でなく、飼い猫が脳の隙間からにゅっと出てくるのだ。

思っていることを文にしたくなったのでオチもないだろうが、とりあえず書き殴っていく。

 

事情により、この約一か月半引きこもっていた。

最初はバイト以外の予定をすべてキャンセルし、労働or家という日々を過ごしていたが、前者も消え、予定が一つ(一般的には消えたとも言える状態)になった。

最寄りから出ず、買い物も大体週1、日光を浴びることもせず、境目のよくわからん日々を送っていた。いや、現在進行形で送っている。朝7時に眠気が来る日々って怖い。

幸い体調を崩すこともなく、毎日午後に起床し、米を炊き、ポストを確認し、気が向いたら身体を動かし、ごくごくまれに掃除をし、ブロックを組み合わせて消滅させたり、サブスクリプションで手あたり次第新しいアーティストの曲を流したりして過ごした。

明らかにもっとやった方がいいことはあったし、ヤバいという危機感だけは湧いたので、必要な本をまとめて買ったりもした。届いた本はというと、一昨日までは床で積読。昨日ついに本棚がやってきたので、その内へきれいにおさまっているところだ。

 

そんな日の中でも、一番多くの時間を費やしたのはYouTube

で、某顔を隠した二人のネットラジオの過去回を無限に流すのと同時に、ペットチャンネルを死ぬほど見ていた。

それで最初の猫だ。

うちでは私が生まれてからずっと猫がいる。飼い猫もずっといるし、野良猫もずっといる。

その中でも16年一緒にいた猫がいた。

飼っていた猫から生まれ、ずっとうちで暮らした猫がいた。

歴代のうちの猫たちは人から譲り受けたり、(大体私が)拾ってきて家族になる。

しかし、唯一その猫だけはうちで生まれ、うちの中でずっと生きた。そして、うちのなかで生涯を終えた。

クソガキだった幼い私に人形のように遊びに付き合わされ、カゴにいれられ布団をかけられてもおとなしく付き合ってくれていた。しかし抱っこだけは本気で拒否をした(遠い日の私は構わず抱っこしまくっていたが)。

そんな日々を過ごしてきたのに、私が年を重ねるごとに、猫は私のストーカーと化した。家にいると大体私の後ろをついて回り、食事中は私の横に待機し、いつも何かを主張してきて、私が相槌を打つのが定番でだった。

あと、机にむかっていると、シャーペンを動かしたい場所にしっかり座り、私の右手に頭をこすりつけていた。小柄な割に結構力強かった。

毎朝廊下をダッシュし、体力づくりを欠かさず行っていた。

皮製品が好きらしくて、私の財布をよく抱えていた。

膝の上でくつろぐくせに、布団で一緒に寝てくれることはそんなになかった気がする。

よく伸びるので夏場はウナギのようになってよく床に落ちていた。

後から入ってきた猫に厳しくて、マーキングがすさまじかった。

書き出すと暇のないほど思い出がある。人生の2/3くらいをともに生きたのだから当たり前か。

 

そんな猫、乳がんを患った。手術をしたが、明らかに元気を失っていった。

それでもトイレの後は廊下でシャトルランしていたが。

その後、お乳がはれ上がり、今にも破裂しそうになっていた。確か腫瘍だった。

私はすでに実家を出ていた。

高齢故に手術に耐えられない可能性があるという理由で摘出は難しいと、母親から聞いて、もういよいよかと覚悟した。

実家に帰る度、薄皮一枚でどす黒くなっているお乳を抱えてなお、私の膝上にのる猫を見て何度も涙をこらえた。

写真が嫌いだったが、一緒に写っている姿を遺そうとツーショットを撮影しまくった。

 

ある日、母から猫が手術を受けたと連絡がきた。

「よく頑張りましたよ」とは獣医さんがいってくれたよ、と。

猫のお乳につまっていたものの写真とともに。マルチみたいだなって思った。

 

それから腹回りの重いのがとても身軽になったらしく、もう余命いくばくみたいな顔してた猫は元気になってた。

来客に褒められた艶のいい毛並みはずいぶんバサバサになって、高齢と手術の影響で骨を感じる体つきになっていたけど、相変わらず実家に帰るたびに私の後ろについてきて、何かを主張していた。

あとソファで寝落ちした時だけ私の上でくつろいでたらしい。写真でしか見たことはないけど。

 

それでも、猫はゆっくりと、確実に年をとっていった。

ある帰省の時、家族がみんな「ボケがきた」と報告してきた。

実際帰宅して猫と会った時、いつもの熱烈歓迎がなく、ふーんと通り過ぎていかれた。

無常すぎ~!!!と元気にショックを受けた。

しかし翌日会った時は超甘えモードで朝から膝の上だった。

一時でも忘れられていた悲しみより、時間が経って思い出してくれたことの方がうれしかった。でも忘れやがったなという気持ちはあったので、私の膝にいる写真を添え、「昨日私を忘れていた猫です」とツイートしてフォロワーにばらしてやった。

いよいよかと思って2年くらい経ってた。

 

しかし、去年の6月、いよいよ土間を登れなくなったと連絡がきた。

週末慌てて帰宅した。

猫は定位置のこたつの毛布の上にずっと眠っていた。私がいれば2階に上ってきたけど、それももうなかったので私から出向いた。

猫はもう気力がないのか、はたまたもう私を知らないのか、喉を鳴らすことも頭をこすってくることも、指をなめてくることもなかった。

それでも、猫が暖かくて、それだけで救われた。

写真を数枚一緒にとって、その日は解散した。

 

戻ってから1週間くらい経って、ある日の深夜か明朝に金縛りにあった。腹のあたりが重たいけど身体が動かない。

超絶ビビりなので金縛りにかかると大パニックになるのだが、その日は不快感がなく、そのまま寝落ちした。

起きたら猫が死んでいた。定位置のこたつで冷たくなっていたらしい。

あのときの腹の重みは、フィガロがのっかっていたからだろう。誰がそう言おうとそうなのだ。そういう猫だ。

前日の夜、家の外に出ていたのを家族に見つかって中に連れ戻されたらしい。猫が死んだこと以上に、家で死んだことに安堵を覚えて涙が出た。

歴代の猫はふらっといなくなった。家の近くで息絶えていたのを見つけられたこともあるが、今も生きているのかわからない場合もある。

だから、私のエゴでしかないのだが、フィガロが家で最期を迎えたことに安心したのだ。(死んだ姿を見られたくなかっただろうけど)最後までうちの子のまま終えてくれたんだなって。

 

すっかりフィガロと私の16年をダイジェストしてしまった。

 

猫を失った心の穴は猫の形でしか埋められない。今も埋まることはない。

だから現在実家にいるもう一猫の写真とか黒い犬の動画とか、親戚の家の猫の写真とか送ってもらい猫~と日々の栄養にしているのだが、それだけでは飽き足らずYouTubeでいろんな猫とか犬の動画を見ている。

この1か月半は特に見まくっていた。

そのなかでも「ねこかます」さんという、神様がいる。

その方が日々挙げる動画で、笑い、泣き、なにより生まれてから猫と生きてきた割に知らなかった知識を得させてもらったりしている。

その方の家の猫たちの中に最近「四護」さんという黒と白の素敵なカラーリングの猫が参入した。詳しくは知らないのだが、元々ある地域のボス猫だったらしい。

全身を病巣にむしばまれて、日々服薬しなければならない体の四護さん。宣告された余命を過ぎてなお、日々懸命に生きている。

かますさんの家にあるサンドバッグの上でちょこんと座り、大変に愛らしい。

なにより、声がフィガロとそっくりなのだ。フィガロも黒と白で、配色の割合も四護さんと似ていたので、柄によって声って決まるのかなと思うほどだった。

四護さんと出会って、フィガロと過ごした人生を振り返ることが多くなった。

それでふと、フィガロが私を忘れて、翌日思い出した時のことを思い返したのだ。

あれは彼女の頭の中で、いままで歩んできた時間が巡っていたのではないだろうか。その中で、大人の私を知らないフィガロと、知るフィガロが行ったりきたりしていたのではないか。

だから何、というわけではない。ただ、そうだったのではないかと思っただけだ。

でもこの考えを忘れたくないと思った。

だからここに書き留めておくことにする。

きっとまた毎日猫を思う。猫以外も無論思う。その中で忘れてはならないと思ったことはここに打ち込んでいこうと思う。