なんでもいれる箱

掃除ができないやつの家に一つはある。それです。

鬼滅の刃の最終回を読んだ

押しも押されぬ人気漫画「鬼滅の刃」。

5年くらい前までジャンプっこだった私は、炭治郎が岩を切れたことまで知っていた。

そんで、人気が爆発してからジュンク堂で全巻購入した。前の年にはゴールデンカムイでも同じことをした。

終わり三話くらいは久々に本誌を買って追った。カナヲが炭治郎に薬を打ち込むシーンが切なくて泣いた。生きててよかた~

 

で、最終回。

鬼は消え、ごくごく普通の現代社会が描かれる。鬼殺隊のメンバー、その子孫たち、生まれ変わりと思われる人たちが、皆それぞれの道で生きていた。

私はこれを読んだとき、あの時鬼が消え、人々は鬼におびえ、憎み倒すことを終えた。そして、私たちが今生きている時間に繋がったのか、と一人感心した。

大正期に鬼が倒され、その後の世界では、今日の私たちがしる歴史が流れたのではないか?その積み重ねで、彼らは日常を生きている。もちろん鬼は存在しない(よな?)。

 

で、燈子が「善逸伝」を否定している様子からこんなことをずっと考えてる。

あの世界の歴史研究者、鬼がいたかの議論がされてたりしないのかな。

最初に提示した研究者は全然学会で相手にされないんだけど、段々研究が深まってきて「あれ?これ鬼いたんじゃないか?」って思う人が増えて、存在した派が優位になったりしないのだろうか。

藤の紋が書かれた旧家が各地にあることに関する論文とか存在するのだろうか。刀鍛冶たちの里があった場所の調査がされて「何でこんな各地に...」みたいな考察する研究者、絶対いる(土地のことしかねーのかよ)。

そもそも現代に鬼がいた形跡とか残ってるのかな。伝承だけの存在になっているのかな。絶対鬼を描いた錦絵とかあるだろ。

炭治郎のと思しき刀とか耳飾り、全体写真とか残されてるのを見ると鬼殺隊に関する痕跡が処分されたとも思えないし。文書史料は燃やされてたり戦時中に焼失しててもおかしくないけど、現存しててもおかしくはないよな。「非常に丈夫な素材でできた制服」みたいな解説で鬼殺隊の隊服が博物館で展示されててほしい。日輪刀の成分分析されろ。

自治体史編さんで「善逸伝」が使用されて資料編に掲載されてたら普通に読みたい。近現代部門に入るのか、民俗部門に入るのか。鬼は存在した派にとっては価値しかない歴史資料、「善逸伝」。

いや~~~鬼殺隊もよっぽど人間離れしてるし、荒唐無稽と切られて歴史の藻屑になってたらそれはそれで彼らが守った平和な未来ではあるんだろうけど、じわじわと研究が進んで一個の研究部門になってたらそれはそれで面白い。

 

そんなことを考えるのは、報告レジュメが完成していないからである。ない歴史研究の話してる場合では絶対にない。

 

でも、もしも今私たちの知っている歴史の裏にも鬼とそれを駆るものがいたら?とも考えずにはいられない。把握できている歴史など、事実のほんの一端でしかないのだから。